強制送還クルド人リーダー 取材の思い出(前編)

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 埼玉県川口市で難民認定申請を行っていたクルド人男性(34=トルコ国籍)が8日午前に成田空港から民間機で強制送還された。9日付けの産経新聞が報じた。男性は6回目の難民申請中で実質的に解体工事会社を経営していたユージェル・マヒルジャン氏。当サイト「令和電子瓦版」では、2023年5月に同氏にインタビューを実施し、前後編に分けて記事を掲載している。おそらく、これがマヒルジャン氏がメディアに登場した最初であった。

◾️ABEMAにも出演

マヒルジャン氏(2023年5月撮影・松田隆)

 マヒルジャン氏は、2024年末に5度目の難民申請が不認定とされ、その後6度目の申請を行っていた。これまで「ABEMA(アベマ)TV」などメディアに出演し、クルド人の置かれた状況などについて積極的に情報発信を行っていた。

 2023年6月に施行された改正入管難民法により、難民申請が3回目以降であっても、送還が可能となったことから、今回の強制送還が実行されたとみられる(産経新聞電子版・<独自>難民申請6回の川口クルド男性、トルコ強制送還 メディア出演、大野知事が感謝状)。

 以前、マヒルジャン氏に感謝状を与えた埼玉県の大野元裕知事は、9日、自身のXで「いかなる国籍・民族であるかにかかわらず、法治国家たる我が国の法やルールに反する場合、然るべき措置を受けなければなりません…」と投稿し、政府の判断を支持する立場を明確にした(産経新聞電子版・川口クルド人男性の強制送還に大野知事「法やルールに反する場合、しかるべき措置」と投稿)。

 また、同紙によれば、入管関係者は「マヒルジャン氏は旅券を取り直し、近隣国を経由して日本に戻ってくるつもりだと話していた」と述べており、搭乗時には大声を上げて抵抗したものの、最後は涙を見せたという。本人は「アベマに出すぎた」と口にしたとも報じられている(産経新聞電子版・「入管を爆破せよ」送還のクルド男性、搭乗時に大声上げるも最後は涙「アベマに出すぎた」)。

◾️マヒルジャン氏の不信感

 マヒルジャン氏がメディアに登場するようになったのは、おそらく当サイトの記事がきっかけである。その経緯を簡単に説明したい。

 2023年5月5日、クルド人問題を取材しているジャーナリスト石井孝明氏から紹介を受けて、筆者は川口市におけるクルド人問題の現場取材を行った。その際、川口市でこの問題に直接携わっている市議の案内も受けた。後日、この取材内容をもとに、当サイトでは5月8日と9日に分けて、石井氏の現場取材記事を掲載した(参照・クルド人問題に悩む川口市の現状(前編)・(後編))。

 その前編の記事に対し、長文のコメントを投稿してきたのが、他ならぬマヒルジャン氏である(投稿は5月9日付)。そのコメントは2500文字ほどあり、内容は「迷惑行為をしているのはクルド人ではなく、他の民族のトルコ人である」「クルド人は日本人との共生を望んでいる」などとする主張であった。

 コメントには連絡用のメールアドレスも記載されていたため、筆者はすぐに連絡を取った。5月15日の夜には電話で直接話をし、その翌日、16日には川口市内にあるマヒルジャン氏の会社を訪問して、実際に取材を行うこととなった。

 当時、マヒルジャン氏は日本の報道機関からは一切取材を受けておらず、日本人との接点は、自らが雇用する社員や支援者らが主であったと見られる。ところが、その支援者との間にもトラブルを抱えていたようで、筆者が話を聞いた際には、そうした経緯への苛立ちがにじんでいた。全体として日本人に対する不信感が強く、疑念を抱えている様子が見て取れた。筆者に対しても「支援者とのトラブル時に撮影された動画」を示すなど、日本人との対立をことさらに示していた。

◾️「最初から取材を受けるな」

川口市の公園に出された看板(2023年5月撮影・松田隆)

 こうした背景もあり、筆者と会った際には強い不信感を抱いていたのは、その様子から明らかであった。筆者と石井氏が川口市の市議とともにクルド人問題を現地で取材した(5月5日)事実も把握しており、「仲間があなたたちの行動をずっと見張っていた。○○のコンビニに入って、そこの駐車場で動画撮影していただろう。仲間がそこにトラックを止めて見張っていたんだ」と指摘してきた。

 特に、当サイトにおいてクルド人問題を厳しく追及する記事を寄稿した石井孝明氏の存在に対し、明らかな不満を見せる。筆者に対しても「信用できない」と口にしたため、筆者はごく当たり前のこととして、以下のように返答した。

 「あなたは、その石井氏の記事にコメントをつけて、前日に私からの電話で話をして取材に応じることにしたではないか。今になって『お前は信用できない』と言うのなら、最初から取材を受けなければいい。」

 さらにこうも述べた。

 「石井氏はこの問題を多く取材し、自らの知見を踏まえて記事を書いている。そして契約に従って、当サイトは記事を掲載している。筆者は個人的に親しくしていただいているが、この問題については、記者と掲載媒体運営者の関係でしかない。そして、自分はこの問題について石井氏ほど詳しくない。そのため、クルド人側の話を聴きたいと思って取材を申し込んだ。それでも『信用できない』と言うのなら、別に取材に応じてくれなくてもいい。自分は記事にしなければならない義理はない。」

 この程度の日本語のやり取りはマヒルジャン氏は難なく理解できるようで、反論することはなかった。その代わりに「自分たちと対立している日本人の電話番号が、あなたのスマートフォンに登録されていないかを知りたい。それを確認させてくれれば、あなたがその人たちと関係がないことを信じる」と言ってきた。

 筆者はその申し出を受け入れ、マヒルジャン氏が示した3件ほどの電話番号をその場でスマートフォンに入力し、該当番号が登録されていないことを示した。そこでようやく、相手の不信感は一定程度払拭されたようであった。

 マヒルジャン氏は、日本人の記者が本当に自分のもとへ単身で訪れるとは思っていなかったのではないか。電話でのやり取りの翌日に、筆者が1人で自分の会社に来たことに、少なからず驚き、「背後に誰かいるのでは」と勘繰ったのかもしれない。

◾️徐々に表情が和らぐマヒルジャン氏

取材に答えるマヒルジャン氏(2023年5月撮影・松田隆)

 こうしてようやく、取材が始まった。インタビューは会社内で行われ、同席していた社員たちは全員、日本人であるように見えた。

 当初は硬い表情で語っていたマヒルジャン氏だったが、次第にその表情は和らいでいった。社内での会話が終わると、氏は筆者に「一緒に外へ出よう」と声をかけてきた。2人で会社の近所を歩きながら、さらに話を続けた。

 そのときの会話、氏が語った日本社会に対する見解などを含め過去に記事にしなかった部分は、後編に詳述することとしたい。

 以上が、筆者が初めてマヒルジャン氏と会い、取材を開始するまでの経緯である。それから2年以上経過して強制送還という結果に至ったマヒルジャン氏が、初めて日本の記者の取材に応じた日のことを、今あらためて記録にとどめておきたい。

(後編に続く)

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