フジ検証番組は “降伏動画” 中居氏の訴え無視

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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フジテレビは6日、「検証 フジテレビ問題~反省と再生・改革~」を放送した。1時間45分にわたる番組を通じて、元タレントの中居正広氏と同局の元アナウンサーのAさんとの間のトラブルに端を発する問題に関して検証し、今後の同局のあり方を示した。その内容は人権保護の重要性を繰り返しながらも、現在、中居氏が第三者委員会(以下、フジ第三者委)に対して異議を申し立てている内容には一切触れていない。また、元会長で同局の最高実力者として君臨した日枝久氏は取材に応じず、さらに今回の事案で戦う相手の存在を示唆したことが伝えられるなど、陰の部分には目を向けず、消化不良、バランスを欠く内容という印象に終始した。
◾️社長の“お詫び”から始まった構成
当該番組は冒頭、清水賢治社長の謝罪から始まった。清水氏は画面に一人で登場し、「多くの関係者にご迷惑をおかけしました」と述べ、現在、社内では改革を進めていることを語った。「これからも厳しい目で見てほしい」と話したその言葉は一見、真摯な姿勢に見える。
進行は、同局アナウンサーの宮司愛海氏と木村拓也氏が務め、ノンフィクションライターの石戸諭氏と、「ビジネスと人権」に詳しい矢守亜夕美氏(オウルズコンサルティンググループ)がゲストとして招かれた。彼らのコメントを交えながら、番組は「なぜ問題が起きたのか」「どのように改革していくのか」を順に解説する構成となっていた。
最後は宮司アナが「…思い返せば『どうせ自分が言っても変わらない』と思う瞬間がなかったわけではありませんでした。これからはフジテレビに関わる皆が安心して働ける職場環境をつくるため、私たち社員一人ひとりが自分事ととらえ、責任を持って行動してまいります」と総括的なコメントで結んだ。
当該番組の最大の問題点は、自局の不祥事を自局が検証する構造的矛盾にある。「自己調査」「自己完結型の美化」と言い得るもので、本質的に客観性とは無縁のように見える。特に港浩一元社長と大多亮元専務の証言は疑問が残る。フジテレビは法的責任を追及するため両者に対する民事訴訟の準備に入ったと発表している(日本経済新聞電子版・フジテレビ、港前社長らを提訴へ 元編成部長ら5人は処分)。
損害賠償請求される人間が、原告となる予定のメディアの取材に応じる場合、予定される訴訟を少しでも有利になるように証言するおそれがある。「我々は過ちを犯した。それを反省し、これから変わっていく」という番組の趣旨に沿った証言をすることで、請求額の減額や有利な和解を期待していないとも限らない。
そうした事情から、港元社長と大多元専務も自身の将来を考えた時に、何をしなければいけないかは容易に想像がつくはず。そのような状況が予想される中、メディアとしての倫理観からすれば、検証番組で証言を求めることには疑問が残る。
◾️「性暴力」表現に関する沈黙
番組が“人権の重要性”を強調していたことは事実である。再生と改革に向けた「8つの方針」の中には、「人権ファーストを徹底する仕組み作り」、「人権侵害・ハラスメント 被害者を守り抜く」などの文言が並んでいた。
しかし、中居氏が現在、フジ第三者委に対して指摘している「性暴力」認定という実態と異なる表現で行為を認定されたことが重大な人権侵害であるという点については、ほとんど考慮されていない。中居氏が現在、フジ第三者委に対して異議を申し立てている根本は、報告書に記された「性暴力」をした人物という実態と乖離した虚像が世間に広がる結果となった点にある。
この点、当該番組では「性暴力」という言葉は使用されず、「人権侵害」「被害」という表現が用いられているのは一定の配慮はあったと言えるのかもしれない。とはいえ、女性Aに対して清水社長が謝罪したこと、女性Aのその際のコメントが紹介され、被害者としての立場が強く打ち出された。
また、女性Aに対する会社の窓口となった佐々木恭子部長が「女性が退職をする日に見送った時の光景っていうのは忘れないですよね」と感傷的なセリフを語った。あたかも重篤な被害を受けた女性Aが意に反して会社を去る場面を振り返るかのような、女性Aへの同情を誘う語りが挟み込まれている。
同部長は事案の対応の責任者の1人として処分されず、逆にその後、局次長に昇進することが伝えられた(日刊スポーツ電子版・フジテレビ佐々木恭子アナが「アナウンス局次長」に昇進へ、後任のアナウンス部長は渡辺和洋アナ)。会社対応の不適切さを語り、その上で自身がより大きな責任を負う立場になって再生フジテレビの牽引役が期待されているだけに、過去をフジ第三者委の評価のとおりに語るには格好の人材である。
宮司アナは「これからはフジテレビに関わる皆が安心して働くことのできる職場環境をつくる」と言ったが、フジテレビに大きく関わっていた中居氏は、その保護の範囲にないように思える。番組の一連の証言者の扱いがこうした曖昧な加害者像を生んだことが、まさに人権侵害そのものであるように思われるが、番組はこれを一切検証しようとしなかったことは留意すべきである。
◾️フジテレビの生き残り戦術か
このように番組全体に消化不良やバランスの欠如が見受けられた最大の理由は、冒頭で示したように自局の問題を自ら取材・構成し、放送している構造にある。本来であれば調査報告書を起点として、その反省と再生の過程も、さらに独立した第三者によって客観的に検証されるべきであった。
現在、フジテレビは主要スポンサーの離脱が相次ぎ、経営の存立そのものが揺らいでいる。このような中で、スポンサーの信頼を回復し再び支援を得るためには調査結果に全面的に従い、謝罪と反省の姿勢を明確に打ち出し、再生の具体策を示すことが不可欠なため、止むを得ない措置であったのかもしれない。
フジ第三者委の判断が本当に合理的で客観的なものなのか、またその判断によって責任を問われた側の人権が適切に守られているのかといった重要な論点にまで踏み込んで検証しようとすれば、逆に「反省していないのではないか」との疑念を招く可能性もある。そのため、第三者委の調査結果をほぼ無条件で受け入れ、改革と再生を推進していく以外に選択肢がないという思考に陥ったのではないか。
こうした姿勢は、外部から見れば“全面降伏”のように映る。自律的な検証を放棄し、フジ第三者委の意見に依存する姿は、本質的な自省や再生の意志ではなく、「生き残りのための演出」に過ぎないのではないかという疑念を払拭できない。
◾️「敵の存在」には踏み込まず
当サイトでは、フジ第三者委はヒューマンライツ・ナウ(HRN)の影響力が強く及んでいることを指摘してきた(参照・中居氏に性暴力の汚名着せたのは誰か HRNの影響力)。
彼らに代表される勢力は一般にリベラルで、フェミニズムの思想が色濃く出ているとされる。
中居氏は否定したが、被害者とされる女性(Q氏)の証言だけで「Q氏の膝や肩、鎖骨付近に手を触れる、Q氏の顔に自身の顔を近づける等の行動」を「セクシュアルハラスメント」と認定(調査報告書公表版p146)するなど、(わずかに疑わしければ罰する)的な革命裁判的な発想はリベラルというよりラジカルと言って差し支えない(参照・中居氏セクハラ認定の欺瞞”革命裁判”か)。
それに対して、日枝氏が権勢を振るうフジテレビは、フジサンケイグループという屈指の保守的言論グループ。日枝氏は自民党の保守派である森喜朗氏とは親しい関係にあるとも言われている(女性自身・「なんで私が」日枝氏のお気に入り女性局長が“左遷”に漏らしていた不満)。
そのあたりの対立の構図は、事案の中では大きな要素と思われ、その構図の中で中居氏が芸能界から引退、名誉を大きく傷つけられる被害を負ったというのは、この事案の1つの特徴と言っていい。
番組内で唯一「対立の構図」に触れたのが遠藤龍之介・元社長。同氏は1月27日の記者会見の前日に当時の取締役相談役で、絶対的権力者である日枝久氏と面会したという。遠藤氏は「『あなた(日枝氏)が辞めていただかないと収束しないんじゃないかと』と申し上げました。すると、日枝さんから『辞めない』『お前は戦わないで辞めるのか』と言われました」というやり取りを明らかにした。
その事実から、日枝氏は「戦うべき敵」を意識していたのではないかと思わされる。実際に中居氏の事案当時、フジテレビの幹部はその点を気にしていた節がある。女性Aが女性支援団体と接触していた事実が記され、アナウンス室部長が「どの団体と繋がっているか」を把握しようと指示したという記録が残っている(調査報告書公表版p38)が、その敵について番組内では存否すら明らかにされていない。
このように、当該番組は反省・改革・再生と称しながら、フジ第三者委への従属の姿勢を視聴者とスポンサーに見せているように感じられる。ラジカルと言い得る思想に基づく調査報告書を絶対視し、それに沿って全てを判断する姿勢は、報道機関としての矜持を放棄したに等しい。そして、その報告書に対して異議を申し立てた中居氏の声を一切紹介しなかったことは倫理観を欠く情報制御であり、人権に対する無理解の現れと考えられる。
例えは適切ではないかもしれないが、旧西ドイツが「悪いのはナチス」とナチスの罪と自国民を切り分けたのと似ている。自分たちとの比較の中で、過去を徹底的に否定することで現在の自らの地位の正当性を強調する手法であり、本来、責められるべきでない者にも根拠の薄いペナルティを科すことになりかねない。この番組全体に感じる違和感の原因はそのような点にあると思われる。
◾️検証ではなく自己正当化
番組では人権の重要性が繰り返し強調されたが、中居氏の人権が考慮されることはほとんどなかった。また、当サイトでは、同局の島田彩夏アナが”冤罪”を訴える元教師を性犯罪をしたと決めつけ、偽造された写真を証拠の1つとする記事を公開し続けている点を繰り返し批判している(参照・フジ島田彩夏アナが人権侵害報道 4年以上放置)。
結局、フジテレビが守ろうとする「人権」とは、「被害を訴えた側」のみを意味し、異を唱える者や、真実を争おうとする者には適用されない、極めて選別的な概念と言われても仕方がない。厳しい表現になるが、番組は表面的な反省と、選別的な人権意識、そして「自己改革」の名の下に旧体制を切り捨てる姿勢に終始していたように思える。
真の検証とは、時に自らの痛みを伴いながら、あらゆる関係者の視点に耳を傾け、光の当たっていない事実にまで踏み込む行為である。
この番組にその覚悟があったとは思えない。
人権や冤罪と関連する事項として、実子誘拐(一方的な実子連れ去り・財産略奪の後でっち上げDVの訴訟を起こす等)に人権団体やそれに近い弁護士が関与している件も取り上げていただけないでしょうか
最近は共同親権の導入などで時々目にすることも増えてきましたが、わたしの身内もその被害にあったひとりで、今も多くの方が被害にあわれています
でっち上げDVは冤罪であるものの、していないと認定されても親権が取れないばかりか保護措置の解除もされないまま何年も実子との面会すら叶わず養育費の支払いなどの義務だけを負わされます
SNSなどで声をあげている方もいらっしゃいますが、より多くの方に知ってほしいため、不躾なお願いとは思いつつ書かせていただきました
ここにコメントすべき内容ではないかもしれませんが、ご検討いただけたらありがたく存じます